ブログの引っ越しです [チリ]
いままでお世話になったSo-netブログがいっぱいになったのでかつてのブログに引っ越しします。
引っ越し先はここです。http://footballun.exblog.jp/
久しぶりのエキサイトブログなので操作がいまいちつかめないかもしれませんがよろしく・・・・
くま
puerto montt プエルトモン再訪 2 [チリ]
アルテサニアエリアが終わるといよいよお楽しみの海鮮エリアです。呼び込みのおねいさん、おばさんが結構いてうちの店に来てよなと誘ってきます。魚、海鮮コーナーはなかなかの充実ぶりで、今まで行った地元チロエ島のどこの港よりにぎわっているし、商品も充実です。
定番のセビーチェもあったので食べたのだけれども、これが1000ペソ(約200円)とアルテサニアとは違ってこちらの海鮮は島価格が1500ペソなので安いというアンバランスです。競争が激しいからかもね・・・・産品の量も多いしね・・・・
アルメハ(アサリの大きいやつ)のセビーチェうまいし、安いです。
puerto montt プエルトモン再訪 1 [チリ]
この辺りでは一番大きな都市プエルトモンを再訪です。前に来た時には寄っていなかった一番有名なANGELMOアンヘルモという海鮮市場とアルテサニアの楽園訪問です。
バスターミナルから近いと聞いていたけれどもなかなか着かないのだよな・・・・けっこう歩きます。アンヘルモまで200mなんていう看板も英語でわざわざあるのにこれも嘘で200mどころではありません。
まずはアルテサニア屋が鎮座していて数がすごいし、狭い道路沿いなので車の駐車と人の動きでどうしようもない混雑です。売っているものは完全な観光客向けで、チリ産でない南米各国の品(エクアドル、ペルーあたりだな・・)や前に行った旅行の時に見たトルコの品まであるほどの無法地帯です。
チリ産の品もあるにはあるけれども、高いね。ボッてます。よく知らないといろいろ騙されますからご注意を。チロエ島で買ったほうがずっと安いです。
Frutillar フルティジャール訪問 7 [チリ]
フルティジャールの話題もこれで終わりにします。いろいろあるきれいな湖の脇のいい町です。街中にごみが見つからないしほかのチリとは少し違うね。湖畔にはなぜだかNESTLEの寄付でピアノが置いてあったり、いろいろ突っ込みどころも満載です。
ちなみにここは南米ですが、ここチリでコーヒーを注文すると、お湯とNESTLEの粉コーヒーが出てきます。これが普通な不思議なチリです。特にレアル・コーヒーとか銘打ってないかぎりこのインスタントコーヒー文化がチリの標準です。
湖畔にある大きな木造の音楽ホールも立派でここは相当豊かな町なんだなと今住んでいるところと比べてしまいます。時々いる自動車での食べ物販売もおしゃれでアンクーとは大違いです。こんな店ないもんな・・・・
Frutillar フルティジャール訪問 6 [チリ]
Frutillar フルティジャール訪問 5 [チリ]
ドイツ移民の歴史が展示されている水車小屋があって当時の写真や道具が展示されています。写真を見ているとチリ人の今の顔でないドイツの顔が見ることができます。湖のまわりを開発していった過程もドイツらしくきっちりしているね。
こういう人たちが持ってきたビール文化やワイン文化なんかがこちらで生きているのだろうな・・・
アンクー町中のポスター [チリ]
映画館もない町なので娯楽を提供しようといろいろとポスターが貼られています。少し前にはけっこうよさそうな映画も行われていたみたいです。残念ながら気にしていなかったので見ることはできなかったのだけれども、町中のポスター類は気にしていないと損だね。
アコーデオンのコンサートのポスターもかわいいね。
Frutillar フルティジャール訪問 4 [チリ]
ドイツ・コロニアル博物館の中には昔の家を再現してその時の生活を再現しているところがあるのだけれども、なにしろそんなに混んでいないところだし、この家が丘の上のほうの人があまり来ないところにあって中をうろついてきたけれども人がいなくて怖いね。
なんかいきなり出てきそうでね・・・・
Frutillar フルティジャール訪問 3 [チリ]
町の名物ドイツ・コロニアル博物館は地元の大学が研究材料にしているのか大学が経営です。入場には2500ペソ(約500円)でなかなかの価格です。研究に役立ててね・・・
中は移民の建てた家や納屋などが敷地内に点在し、なかなか広い中を歩くことになります。大きな別棟には当時の農機具や写真もあって昔のドイツの田舎町そのままの生活模様です。花もきれいに植えられていていい感じの敷地内です。
パラグアイのチャコ地方にもドイツのメノー派(アーミーシュと似ているけれども詳しくは調べてね)の人たちが、外部と一切コンタクトを断ち切って住んでいるところがあるのだけれども、そこみたいに外部を遮断した生活ではなかったようだな。ドイツ式の影響がいまのチリにはそこここに見られるし、南米らしくない南米チリを作っています。